石墨山

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石墨山
石墨山を西から望む、梅ヶ谷山から
標高 1,456.5 m
所在地 愛媛県上浮穴郡久万高原町
位置 北緯33度44分0秒 東経132度59分0秒 / 北緯33.73333度 東経132.98333度 / 33.73333; 132.98333
山系 石鎚山脈(四国山地)、「皿ヶ峰連峰」
石墨山の位置(愛媛県内)
石墨山
石墨山
石墨山 (愛媛県)
石墨山の位置(日本内)
石墨山
石墨山
石墨山 (日本)
プロジェクト 山
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石墨山(いしずみさん)は、四国山地のうち、石鎚山脈の西部、愛媛県 久万高原町に位置する、標高 1,457mの山である[1]。

この山は、四国百名山の一つに、選定されている[2]。 

またこの山は、石鎚山脈の西部の山並みである、皿ヶ嶺連峰(東温アルプスとも言う)の東端に位置し、同連峰では一番標高が高い。なお、山頂部は久万高原町に属しているが、山体の北側は、東温市に属している。

概要

石墨山という山名は、この山で石墨が採れたことに由来すると言われており[2]、 以下のような伝承がある[1]。

『(石墨山の名の由来は)、石墨神社背後の岩壁から奇岩、墨の如く、硯にあて、之に代用することが出来るものを産するからだ』

また、この石墨山には、遠い昔、赤鬼法性院という名の山伏が住んでおり、この山で独り修行をしていたが、老境に入って死期を悟り、八合目あたりの祠に籠もって入定した、という伝承がある。南側山麓にある石墨神社[注釈 1]は、この赤鬼法性院を祀ったものだ、ともいう[2]。

石墨山の山頂部は久万高原町に属するが、後述の割石峠、白猪峠を結ぶ、石鎚山脈主稜線の北側は東温市に属している。

この東温市側にあたる石墨山北側の中腹部には、唐岬の滝と白猪の滝という滝がある。特に白猪の滝は、冬季には凍結して氷瀑となり、国道494号からのアクセスも良いため、冬季にもこれらの滝を見物するハイカーが多い[1]。

かつて、松山市に教員として赴任した文豪 夏目漱石は、この唐岬の滝を秋に訪れ、以下の句を詠んでいる[1]。 

「滝五段 一段ごとの紅葉かな」

また、松山市を拠点として活動した俳人、正岡子規も、唐岬の滝や白猪の滝を訪れて俳句を残していると言い、明治期の昔から、これらの滝は、松山市周辺の景勝地としてよく知られていた[1]。

この山は、麓から中腹部までスギなどの人工林が多い山であるが、「肩」と呼ばれる地点から山頂部までは展望の良い稜線となっている。また山頂からの展望も良い[1]。

登山ルート

登山コースとしては、国道494号沿い、東温市側中腹にある、唐岬ノ滝入り口と呼ばれる場所を登山口とし、石鎚山脈の主稜線上にある割石峠に出て、そこから主稜線上を南西にたどり、「肩」と呼ばれる分岐を経由して登るルートが一般的である[1] [3]。

その他、前記の唐岬ノ滝入り口から西へと進み、白猪ノ滝入り口を経由して白猪峠に出てから、主稜線上を南東方向へとたどり、前記の「肩」と呼ばれる分岐で割石峠からのルートに合流する、というルートもある[1][3]。

地質

石鎚山脈は、日本の地帯(地体)構造区分では、三波川帯に属しており、多くの場所で高圧型変成岩の一種、結晶片岩類が広く分布している[4]。 

しかし、この石墨山付近を含む現在の石鎚山脈の西部では、新第三紀の中新世中期に火山活動が生じ、その時に噴出した、石鎚層群と総称される火山岩類が広く分布しているため、結晶片岩類は、南側の山麓部にわずかに分布しているだけである。この山の大部分は、後述する新第三紀の中新世中期の火山岩類からなっている。本来の基盤岩である、南側山麓部に分布しているこの結晶片岩類の種類は、大部分が、苦鉄質片岩(緑色片岩)である[5]。

石墨山の山体のうち、標高約800m以上の部分は、新第三紀の中新世中期(約15~14Ma)[注釈 2] に活動した火山活動による、安山岩質の溶岩、火砕岩からなる[5] [6]。その分布域は、東は石墨山のさらに東にある黒森峠付近、西は、隣接する皿ヶ嶺を含み、松山平野と久万高原町とを結ぶ三坂峠を越えて黒森山の西側付近まで、東西方向に約20km、南北方向に最大約10kmの範囲に広がっている[5] [6] [7]。

この火山噴出物は、石鎚山脈の中部から西部に広がる、石鎚層群、あるいは石鎚火成岩類とよばれる、中新世中期の火山噴出物のうち、黒森峠安山岩、あるいは黒森累層と呼ばれるものである。この黒森峠安山岩の現存する層厚は、450m以上と推定されている[6] [7]。 なおこの、黒森峠安山岩を噴出した火山の場所は明確にはなっていないが、現存する分布域から見て、石鎚山付近が噴火中心とは考えにくく、現在の分布域内で活動したと考えられている[6][7]。

石墨山のうち、標高800~700m付近には、前記の黒森峠安山岩を囲むように、デイサイト質から流紋岩質の、大規模火砕流堆積物が分布している。これは、中新世中期に、石墨山から東へ約13km離れている、現在の石鎚山付近で火山活動が起きて噴出した、高野(こうや)火砕流堆積物と呼ばれる、石鎚層群に含まれる火山性噴出物で、時系列的には、この高野火砕流堆積物が先に噴出し、その少し後の時代に黒森峠安山岩が噴出して、その上を覆うように堆積している[6] [7]。

その他の石鎚層群に属する火成岩類としては、石墨山のあちこちに、東西に延ばされたレンズ状をした、深成岩の一種、花崗閃緑岩の岩体が分布している。これも形成された時代は、上記の火山岩類と同じく、新第三紀の中新世中期であり、上記の火山活動の元となっていた地下深部のマグマ溜りから上昇してきた、一種の貫入岩体と推定されている[5]。

更に、上記の火山岩類を囲むように、標高700~500m付近には、久万層群[注釈 3]と呼ばれる、礫岩を主体とした、中新世中期の堆積物が分布している[5] [8]。 この久万層群は、石墨山を取り囲むように、その北側、東側、南側の中腹部~山麓部に分布していることや、堆積年代が中新世中期のうち、上記の火山活動より少し前と推定されていることから、上記の火山活動による火山岩類で現在の石墨山の大部分が覆われる前には、現在の石墨山一帯に、この久万層群が広く分布していたことが推定されている[5] [8]。

石墨山の北側中腹にある、唐岬の滝付近や、白猪の滝付近の地質であるが、最上位の黒森峠安山岩は浸食によってかなり失われており、その一つ下位の地層である高野火砕流堆積物や、更にもう一つ下位の地層である久万層群が、部分的に露出している[5]。

また、第四紀のうちチバニアン期後期[注釈 4] から完新世[注釈 5] のうちに、大規模な地すべり、あるいは土砂崩れが起きたことが推定されており、地質図で見ると唐岬の滝より上部の、標高1050m付近から、北側山麓の標高300m付近まで、その地すべり性の堆積物が流れ下った様子が確認できる[5]。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ↑ 石墨神社は、石墨山の南麓、久万高原町側の、標高800m付近にある
  2. ↑ ”Ma” は、百万年前を意味する単位である
  3. ↑ 「久万層群」の「久万」(くま)とは、愛媛県中部の自治体、(旧)久万町(現;「久万高原町)の名前にちなむ
  4. ↑ チバニアン期とは、第四紀のうち、約78万年前から約12万年前の時代である
  5. ↑ 完新世とは、約16600年前から現在までを示す地質時代である

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 石川 道夫、西田 六助、豊田 康二、岡山 健仁「「石墨山」」『分県登山ガイド(37) 愛媛県の山』(初版)山と渓谷社〈分県登山ガイド シリーズ〉、2016年11月5日、94-95頁。ISBN 978-4-635-02067-1。
  2. 1 2 3 山と渓谷社「四国百名山」2000年9月10日発行 43ページ
  3. 1 2 “東温アルプスガイド”. 東温市観光物産協会. 2022年12月3日閲覧。
  4. ↑ 日本地質学会 編「(「三波川帯」の項、ほか)」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』(初版)朝倉書店、2016年、978-4-254-16787-0頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
  5. 1 2 3 4 5 6 7 8 “産総研「20万分の1日本シームレス地質図V2」”. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター (2025年7月18日). 2026年3月23日閲覧。
  6. 1 2 3 4 5 日本地質学会 編「(新第三紀火成岩類;「石鎚火成岩類」の項)」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』(初版)朝倉書店、2016年、255-257頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
  7. 1 2 3 4 吉田 武義; 村田 守; 山路 敦 (1993年). “石鎚コールドロンの形成と中新世テクトニクス”. 地質学論集 第42巻 第42巻: pp 297-349.
  8. 1 2 日本地質学会 編「(新生代堆積岩類;「久万層群」の項)」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』(初版)朝倉書店、2016年、282-286頁。ISBN 978-4-254-16787-0。

関連項目