瓶ヶ森
| 瓶ヶ森 | |
|---|---|
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瓶ヶ森の山体を南南西から望む | |
| 標高 | 1,897[1] m |
| 所在地 | 愛媛県西条市 |
| 位置 | 北緯33度47分41秒 東経133度11分36秒 / 北緯33.79472度 東経133.19333度座標: 北緯33度47分41秒 東経133度11分36秒 / 北緯33.79472度 東経133.19333度 |
| 山系 | 石鎚山脈(四国山地) |

瓶ヶ森(かめがもり)は、四国山地西部の石鎚山脈に属する、標高1,897 m [1][注釈 1]の山である。
日本三百名山および四国百名山の一つに数えられる[2][3]。
愛媛県第三の高峰で、四国でも二ノ森に次いで5位、西日本でも八経ヶ岳に次いで7位となる。
瓶ヶ森という名称の由来は、山頂部西側に広がる「氷見二千石原」にある、瓶壺(かめつぼ)と呼ばれる、湧水のたまる泉に由来するという[4]。
なおこの記事では、瓶ヶ森に隣接する子持権現山(こもちごんげんやま)についても解説する。
概要
瓶ヶ森の主要なピークは2つある。そのうち標高が最も高い峰は、女山(めやま)山頂と呼ばれる。そこから南側へと1kmほど稜線をたどると、もう一つのピークである男山(おやま)山頂がある[5]。
愛媛県と高知県の県境からやや北側に外れた位置にある山頂には二等三角点「亀ケ森」(1,896.22 m) が設置されている[6]。
石鎚山、笹ヶ峰とともに「伊予の三名山」とされる場合がある。[注釈 2]
瓶ヶ森は、その南西側に位置する子持権現山(こもちごんげんやま;1,677 m) という岩峰と共に、古来より「石土信仰」の対象とされ、女山山頂には蔵王権現、男山山頂には石土古権現の祠が祀られている。
瓶ヶ森を含む石鎚山脈一帯は石鎚国定公園に指定されている。山頂からは西側のウラジロモミおよびその白骨林の点在する、氷見二千石原(ひみにせんごくばら)とよばれる小起伏面の向こうに石鎚山、北側に瀬戸内海、南側に幾重にも重なる四国山地の山々とその向こうに土佐湾を望むことができる。
氷見二千石原とは、山頂部の西側に広がる西側に緩く傾斜した笹原に覆われた小起伏面であり、江戸時代に二千石の石高であった山麓の(旧)氷見藩(現 西条市)に因んで名付けられた、という。[7][8][5]。
山岳信仰
伝承によると、斉明天皇の頃(飛鳥時代)、山頂から北方向に下った中腹に聳える龍王山(標高840 m付近)に役小角が籠り修行をしていると阿弥陀三尊が出現し、ついには石土蔵王大権現を感得した。その後、龍王山から約0.5 km下った場所に天河寺(てんがいじ)を創建した。天平9年(737年)、行基によって山頂に石土山が開山され、[注釈 3] 天平勝宝5年(753年)には芳元によって熊野権現が勧請され、山頂にて「宮とこ」と称した、と伝えられる[9]。
天河寺は、その別当としての地位となり、登拝の拠点として隆盛した。天長5年(828年)には、今の石鎚山弥山にも当山から勧請された、という。しかし、室町時代末期に兵火により天河寺は廃塵と化し、その後再興されることはなかった[9]。
瓶ヶ森における山岳信仰では、瓶ヶ森全体を「権現山」と呼び、そのうち男山を父親に、女山を母親に、そして子持権現山を子供に見立てて、三山で一体の信仰対象とみなしていた、という[10]。
また、瓶ヶ森の中腹には、江戸時代あるいはそれ以前には2つの寺院があったという。西側中腹の、西ノ川登山ルート沿いには、現在も「常住」という地名が残されているが、ここにはかつて、坂中寺(さかなかじ)という寺院があった。また北側中腹にも、かつては「常住」と呼ばれる場所があり、そこに上記の天河寺という寺院があった、という。このうち天河寺は平安時代から鎌倉時代にかけ、七堂伽藍をもつ大寺であったというが、消失しているため詳細は不明である[10]。
現在は、愛媛県今治市大浜町に本拠地をおく、石土宗総本山石中寺が、男山山頂を石土山頂上としており、毎年7月1日から10日までを「石土山入峰大会」と称して信者たちが当山および子持権現山に登拝する行事を行い、その10日間は頂上直下にある山小屋に泊まり込んでいる[9]。
最近[いつ?]まで男道と女道は別々になっており、男女は分かれてそれぞれの山に登拝していた。
- 西の川→名古瀬越谷→十郎あれ→常住(988m)→鳥越→釜床谷→瓶壺→男山(または、鳥越→子持権現山→男山)
- 西の川→東之川谷→東之川新道→台ヶ森→女山
登山ルート
瓶ヶ森林道(通称;UFOライン)沿いから登るのが最も手軽な登山ルートである。瓶ヶ森林道沿いにある駐車場 (標高;1,670 m) から約40分で男山山頂、さらに北へと稜線をたどれば女山山頂へ至る。また上記の駐車場から「氷見二千石原」の中の登山道を通ると、約1時間で直接 女山山頂へ至る[5]。
1990年代に、瓶ヶ森林道が一般の人にも通行可能になる前までは、西条市側の麓の、西ノ川集落から「常住」と呼ばれる地点を経由して山頂部の一角にある「瓶壺」へ至るルート(通称;西ノ川ルート)や、西ノ川集落から東ノ川集落、さらに「台が森」と呼ばれる地点を経て頂上部に至る登山ルート(通称;東ノ川ルート)が、一般的な登山ルートであった。 これら2つの山麓からの登山ルートは、標高差が大きいが、現在(2025年時点)も利用できる[5]。
なお、1990年代までは、山頂部の「氷見二千石原」の一角に、「白石小屋」と「瓶ヶ森ヒュッテ」という2つの山小屋があったが [11]、2000年代にあいついで廃業となり、廃墟のような状態で宿泊はできなくなっている。代わりに、「瓶ヶ森ヒュッテ」跡地の近くに、2018年に西条市が設置した、避難小屋が整備されている[5][12]。
地形
瓶ヶ森は、地形的にみて、他の石鎚山脈の山とはかなり異なる特徴的な形をした山である。中腹部までは、どの方向からでも急峻な斜面となっているが、8合目付近より上部(標高約1650m以上)の、頂上部からみて西側の部分は、西側に緩く傾いた台地状の地形となっていて笹原となっている。この台地状の小起伏面は、「氷見二千石原」と呼ばれている。この台地状の小起伏面は、地形学でいう「隆起準平原」と推定されており [13][14]、石鎚山脈の隆起の歴史を考察する上で、重要な地形となっている。またこの小起伏面は、地形学的には「瓶ヶ森面」とも呼ばれている[13]。
地質
瓶ヶ森を含めた石鎚山脈の大部分は、日本の地帯(地体)構造区分では、結晶片岩類などの高圧型変成岩の存在を特徴とする、三波川帯に属する[15]。
瓶ヶ森の場合、三波川帯に属する結晶片岩類と、その構造的上位に位置している、「久万層群」[注釈 4]とよばれる、礫岩を主体とした堆積物層の、2つの地質体が分布している[16][17]。
まず結晶片岩類であるが、頂上部を含めた山体の大部分が、三波川帯に属する苦鉄質片岩(緑色片岩)から成っている。この苦鉄質片岩(緑色片岩)の原岩は付加体であると推定されている。この付加体の形成時代は南側に隣接する秩父帯と同じジュラ紀とする学説と、更に南側に分布する四万十北帯と同じ白亜紀とする学説があり、明確にはなっていない。また変成ピーク時期については、放射年代の分析結果に幅があるが、大まかには、白亜紀後期と推定されている[15] [16]。
瓶ヶ森を構成しているもう一つの地質体である、「久万層群」[注釈 5]と呼ばれる、礫岩を主体とする堆積層は、「氷見二千石原」と呼ばれる、瓶ヶ森の頂上付近にある特徴的な台地状の緩斜面に分布しており、前記の結晶片岩類の地質体とは不整合の関係にある。また、瓶ヶ森の南側に隣接し、特徴的な形をした岩峰である、子持権現山も、この久万層群の礫岩からなっており、さらにその南の伊吹山辺りまで、この久万層群は、石鎚山脈の主稜線部に細長く分布している[16][17][18]。
瓶ヶ森とその周辺における、久万層群の礫岩中の礫の大部分は、三波川帯を構成している結晶片岩類からなる。また堆積した時代については古くから研究がなされている[17][18] [19] [20] [21]。研究者によって見解が必ずしも一致していないが、久万層群の堆積時代は、その一部は古第三紀の始新世と推定されているが、瓶ヶ森付近の久万層群の堆積年代は、新第三紀の中新世のうち、約20~14Ma[注釈 6]と推定されている[16] [17][18]。 この礫層の堆積環境としては、海底ではなく、淡水環境あるいは陸上の扇状地のような場所と推定されている[16] [17][18][19][20][21]。
この久万層群の堆積から解ることとして、少なくとも新第三紀の中新世には、元々は地下深部で高圧型変成作用をうけた三波川帯を構成している結晶片岩類が、上昇して地表に露出しており、かつ、ある程度の高さをもつ山地となっていた、と推定されている。その山地から浸食によって運ばれた結晶片岩類からなる礫が堆積したのが、山麓部にあった上記の、淡水環境あるいは扇状地群だと推定されている[17][18] [19][20][21]。
ギャラリー(瓶ヶ森)
子持権現山
子持権現山(こもちごんげんやま)は、石鎚山脈のうち、瓶ヶ森(男山ピーク)から南西に約1.5kmに位置している、標高1,677 mの山である。[22]
名前の由来は明確ではないが、この山を構成している礫岩に、「子持岩」という別名があるから、とする説がある[8]。 また「その形が子供を背負っているように見えることから名付けられた」という説もある[22]。
子持権現山は、小さいながら独特の形状をした岩峰で、例えば石鎚山の登山道などからも良く見える。
一般的な登山ルートは、瓶ヶ森林道沿いに登山口があり、そこからいきなり、標高差約80mの急な岩場を、備え付けられている鎖を頼りに登る、険しい山である。なお、頂上部は灌木が茂っており、意外と見晴しは良くない[8] [22]。
また古くは、瓶ヶ森の西側中腹部の「鳥越」(とりごえ)と呼ばれる地点から、瓶ヶ森の西面、子持権現山の西面をトラバースしてから子持権現山の頂上に至る、鎖場が多く険しい「ホンガケ(道)」と呼ばれる、修験道の鍛錬のための登攀ルートがあった[22]。
かつては、瓶ヶ森と同じく、山岳信仰の対象であり、山頂部には蔵王権現が祭られている[8][10][22]。
地質的には、瓶ヶ森の「氷見二千石原」から続く、「久万層群」(くまそうぐん)の礫岩からなっている[16]。
- 子持権現山
脚注
注釈
- ↑ GNSS測量等の点検・補正調査による2014年4月1日の国土地理院『日本の山岳標高一覧-1003山-』における改定値。なお、旧版での標高は1,896 m。
- ↑ 書籍「日本の山1000」(山と渓谷社 刊、1992年発行、初版)の「笹ガ峰(石鎚山地)」の項(p675)に、笹ヶ峰の説明文として、(笹ヶ峰は)『石鎚山、瓶ヶ森とともに、”伊予の三名山”の1つである』との記載がある。ただし同書籍の「瓶ヶ森」の項には、そのような記載はない。
- ↑ 天平10年先に神変大菩薩の開かれた弥陀の浄土と拝された石鎚山にて修行した。その石鎚山を真西に拝することの出来る瓶ヶ森山中にて石槌蔵王大権現を一心に祈ったところ地蔵菩薩を感得した。行基菩薩は一刀三禮の誠をこめ延命地蔵菩薩、掌善童子・掌悪童子を彫り、寺を建立し「南嶺山 地蔵院 大福寺」と号した。
- ↑ 「久万層群」の定義は研究者、文献によって多少異なる。「始新世」と「中新世」の堆積物を合わせて「久万層群」と定義するものと、「始新世」の堆積物は除いて、「中新世」の堆積物のみを「久万層群」と定義するものがある。なお瓶ヶ森付近の「久万層群」は、「中新世」の堆積物である。
- ↑ 「久万層群」の「久万」(くま)とは、愛媛県中部の自治体、(旧)久万町(現;久万高原町)による。 また、「久万層群」という名称は、当時の愛媛大学教授の永井博士が1957年に名付けた。
- ↑ ”Ma” は、百万年前を意味する単位
出典
- 1 2 “標高値を改定する山岳一覧 資料1” (PDF). 国土地理院. 2014年3月26日閲覧.
- ↑ 荒井魏『日本三百名山』毎日新聞社編、1997年
- ↑ 石川道夫、清家一明 ほか『四国百名山』山と渓谷社、2000年9月10日、16-17頁。ISBN 4-635-53028-0。
- ↑ 足利武三、吉田昭市、瀬尾央『新版・空撮登山ガイド 四国・九州の山々』山と溪谷社、1996年
- 1 2 3 4 5 石川 道夫、西川 六助、豊田 康二、岡山 健仁『分県登山ガイド (37) 愛媛県の山』(初版)山と渓谷社、2016年11月5日、p28-31頁。ISBN 978-4-635-02067-1。
- ↑ 国土地理院 基準点成果等閲覧サービス
- ↑ 『角川日本地名大辞典』角川書店、1981年
- 1 2 3 4 愛媛大学山岳会 『愛媛の山と渓谷;中予編』(改訂版)愛媛文化双書 刊行会〈愛媛文化双書シリーズ〉、1986年5月5日、76-82,88-89頁。
- 1 2 3 『西條史談第63号』23ページ
- 1 2 3 鈴木 正崇『山岳信仰』中央公論新社〈中公新書〉、2015年、258-261頁。ISBN 978-4-12-102310-0。
- ↑ 石川道夫、高知県勤労者山岳連盟 ほか『アルペンガイド (19) 中国・四国の山』山と渓谷社、1993年、212-214頁。
- ↑ “西条市役所ホームページ内のお知らせ;「瓶ヶ森に新しい避難小屋が完成しました」”. 西条市役所 (観光振興課) (2018年4月13日). 2026年3月15日閲覧。
- 1 2 太田 陽子、成瀬 敏郎、田中 眞悟、岡田 篤正『日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国』東京大学出版会、2004年、31頁。ISBN 4-13-064716-4。
- ↑ 森川 國康(編著)『石鎚山系自然観察入門』愛媛県文化振興財団〈えひめブックス〉、1995年、238-239頁。
- 1 2 日本地質学会 編『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、1-9,51-71,78-81頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
- 1 2 3 4 5 6 “産総研「20万分の1日本シームレス地質図V2」”. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター (2025年7月18日). 2026年3月14日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 廣田 善夫 (1990). “四国西部瓶ケ森地域の久万層群中の変成岩礫”. 島根大学 地質学研究報告 第9号: p37-47. doi:10.24568/6324.
- 1 2 3 4 5 日本地質学会 編『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2013年、81-82頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
- 1 2 3 甲藤 次郎; 平 朝彦 (1979). “久万層群の新観察”. 地質ニュース ((旧)地質調査所) 293号: p12-21.
- 1 2 3 成田 耕一郎; 山路 敦; 田上 高広; 栗田 裕司; 小布施 明子; 松岡 敷充 (1999). “四国の第三系久万層群の堆積年代とその意義”. 地質学雑誌 第105巻 (4号): p305-308.
- 1 2 3 楠橋 直; 山路 敦 (2001). “愛媛県面河地域の久万層群が示す西南日本の中新世テクトニクス”. 地質学雑誌 第107巻 (1号): p26-40.
- 1 2 3 4 5 高知県勤労者山岳連盟『分県登山ガイド (38)高知県の山』(初版)山と渓谷社〈分県登山ガイド〉、2019年3月1日、16-17頁。ISBN 978-4-635-02068-8。
外部リンク
- 瓶ヶ森 - 西条市
