星ヶ城山

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星ヶ城山
星ヶ城山(東峰)の頂上
標高 816 m
所在地 香川県 小豆郡 小豆島町
位置 北緯34度30分55秒 東経134度19分03秒 / 北緯34.51528度 東経134.31750度 / 34.51528; 134.31750
種類 メサ(溶岩台地)
星ヶ城山の位置(香川県内)
星ヶ城山
星ヶ城山
星ヶ城山 (香川県)
星ヶ城山の位置(日本内)
星ヶ城山
星ヶ城山
星ヶ城山 (日本)
プロジェクト 山
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星ヶ城山(ほしがじょうやま)[注釈 1] は、瀬戸内海に浮かぶ小豆島のうち、その中央やや東側に位置する、標高 816mの山である[1][2][3]。

瀬戸内海に浮かぶ数多く島のなかでも、この星ヶ城山(標高 816m)は最も標高が高い山である[1]。

なおこの山の南西側には、小豆島有数の観光地、寒霞渓が位置している[2][3]。 [注釈 2]

概要

小豆島は、瀬戸内海に浮かぶ島々のうち、淡路島についで2番目の面積を有する島である。(面積 約153 km3)

その最高峰であるこの星ヶ城山は、標高816.0mで、淡路島の最高峰である諭鶴羽山(標高 608m)より200m以上も高く、瀬戸内海の島々の中では最も標高が高い山である[2] [3]。

星ヶ城山は展望に優れ、近くの寒霞渓と共に、瀬戸内海国立公園に含まれる[4]。 また四国百名山の一つにも選定されている[3]。

星ヶ城山は独立峰ではなく、小豆島の中央部を占める台地のうちの最高地点である。従って、遠くから見ても、どこが山頂かははっきりとは解らない。ここではこの台地のうち、その東部の星ヶ城山の山頂を含む一帯を、星ヶ城山の山体と見なす。[注釈 3]

この山の山頂部は、行政区画的には、香川県 小豆郡 小豆島町(旧;内海町)に属する。なお台地状の山体の大部分も小豆島町に属するが、北西側斜面は、土庄町に属する[1]。

星ヶ城山の山頂部は、「東峰」(標高 816m)と、「西峰」(標高 約800m)に分かれており、それぞれに山頂の標識がある。その間は直線距離で300m程度である[2]。

「東峰」、「西峰」とも南側の展望が良い。特に「西峰」は展望が広く、眼下に麓の海岸線、その先に穏やかな瀬戸内海が広がり、遠望が利く日には更に、西の瀬戸大橋や、香川県本土部にある、高松市街、屋島、五剣山なども望める[2] [3]。

山頂部のうち「東峰」には一等三角点が設置されている。三角点の公式名称は「星ヶ城山」、標高値は815.96m(作業年月;2024年12月)となっている[5]。なお「西峰」には三角点や基準点は設置されていない。

また、山上台地の一角、星ヶ城山の山頂から西へ約1.5kmの地点は、三笠山(みかさやま、標高 671m)と呼ばれており、寒霞渓ロープウェイの山頂駅もその近くにある。星ヶ城山の山頂部から三笠山にかけての一帯は、南西側にある寒霞渓を含め、その南面が崖状の急斜面となっており、南麓から見ると非常に険しい山容に見えるためと思われるが、全体を険阻山(けんそやま)とも呼ぶ[1]。[注釈 4]

星ヶ城山一帯の南面が険しい崖状地形であるのと対照的に、山頂部を含めた一帯は、穏やかな台地状の地形となっており、自動車道も麓から通じている。また後述の通りハイキングルートもある。

星ヶ城山という山名は、南北朝時代(14世紀)に、ここに、佐々木信胤という武将が作った「星ヶ城」という名の山城があったことに由来する、という[2] [3] [4]。

登山ルート

麓から登る場合は、まず寒霞渓のロープウェイ山麓駅の脇から寒霞渓沿いに、表八景と呼ばれる眺めを見ながら登ると、山上台地の一角、ロープウェイ山頂駅(標高約600m)の近くに出る。南麓からはもう一つ、寒霞渓のうち、裏八景と呼ばれる景勝地沿いのルートもある[2]。 なおロープウェイ山頂駅までは、寒霞渓ロープウェイを使うと労せずに寒霞渓の上部に至れる[6]。

ロープウェイ山頂駅の東側に三笠山(671m)があり、そこからは東へと、整備されたハイキングルートが山上台地の上に続いている。途中の星ヶ城神社を経て、星ヶ城山の「西峰」(標高 約800m)に至る。更に10分ほど進むと「東峰」(標高 816m)に着く[2] [3]。

また、頂上部の北側には、小豆島ブルーラインと称する自動車道があり、車を使うと頂上直下まで行け、星ヶ城山の山頂までわずかな距離である[4]。

「星ヶ城」(山城)

律令制の時代(奈良時代)、小豆島の全域は、現在の岡山県の一部に相当する、備前国の児島郡に属していた。その後、南北朝の時代に、備前国の武将、佐々木信胤が小豆島を支配した。その際に現在の星ヶ城山一帯に作られた山城が、「星ヶ城」(ほしがじょう)であり、1339年に築城されたという[7]。

佐々木氏は、当初は北朝方だったが、のち南朝方となり、星ヶ城を拠点とし小豆島の各所に支城を築き全島を要塞化したという。その後、1347年には北朝方の細川師氏に攻め込まれ、1ヶ月ほどの激戦の末、佐々木氏の軍勢は敗北した。おそらくその際に星ヶ城も落城したと推定されている。この戦いにより、小豆島全体が細川氏の領地となり、所属も讃岐国の勢力下となった[7]。

なお、城跡としての星ヶ城は、山頂部やその周辺に、色々な遺構が残っており、香川県指定の史跡に指定されている[4]。

地形

「概要」の項でも述べたように、星ヶ城山の山頂部は、小豆島の中央部にある山上台地のうちの一角である。この山上台地の部分は起伏が少ないが、南側は崖状となっている。また北側は南側ほど険しくないが、吉田川という川沿いに渓谷状となっている[1]。

この山上台地の部分は、地形学的には残丘の一種であり、上部に小起伏面を持っているので、残丘のうちメサに分類される[8][9][10]。

瀬戸内海に浮かぶ小豆島(標高816m)が、讃岐平野にある飯野山(讃岐富士、標高 422m)や屋島(標高 292m)などの山々に比べ、標高がかなり高い理由については、地形学、地質学の文献類でも明確に説明はされていない。「地質」の項で述べるように、元々の基盤岩である白亜紀後期の花崗岩類が標高300m付近まで分布していることに加え、その上部に最大層厚約400mもの、新第三紀のうち中新世に噴出した火山岩類が乗っており[11]、それらにより標高を稼いでいる、とも言える。

地質

地質概要

小豆島のうち、星ヶ城山とその一帯の地質構造は、その間に瀬戸内海を挟んだ対岸の、讃岐平野に点在する残丘群、例えば飯野山(讃岐富士)や屋島などと類似している[11]。

具体的には、飯野山や屋島などと同様に、この星ヶ城山の地質構造は、大きく見ると2層構造となっている[11]。

下部は、基盤岩としての白亜紀後期の花崗岩類からなる。これは、小豆島全体で見ると標高 200~350m付近まで分布しており、星ヶ城山の山頂部にも近い寒霞渓付近では、標高 300~350m付近まで分布している[11]。

その花崗岩類の上には、新第三紀のうち中新世中期に生じた火山活動に伴う火山岩類が、小豆島の中央部を中心に広く分布している[11][10]。

詳細な地質

小豆島の詳細な地質研究によると、小豆島に分布している中新世中期の火山岩類は、まとめて「小豆島層群」とよばれているが、場所や岩相の違いから、10種類以上に細分化されている[12][13]。

ここでは少し簡略化して説明するが、星ヶ城山山頂部の南側斜面や寒霞渓付近では、標高300~600m付近までは、まとめて神懸山火砕岩類(かみかけやま かさいがんるい)と呼ばれる、主に凝灰角礫岩からなる火山岩類が分布している。これらの一部は水中で噴出したと推定される地質学的な証拠が確認されている。また寒霞渓に分布する火山岩類の解析から、寒霞渓付近に噴出中心の一つがあった、とも推定されている[12][13] [14]。

この凝灰角礫岩を主体とする火山噴出物は固結度が弱くて浸食に弱い為に、浸食により大きく削られた寒霞渓の崖状地形を形成していると考えられる[8][9]。この凝灰角礫岩層は、寒霞渓の岩峰群も形成している。

さらに最上部、星ヶ城山の山頂を含む台地上部は、安山岩質の溶岩からなっている。そのうち星ヶ城山の山頂部付近のものは星ヶ城溶岩流と呼ばれている[12][13][14]。この溶岩層は硬くて浸食にも強い為、いわゆるキャップロック(cap rock)となって、下部の浸食に弱い凝灰角礫岩などを浸食から保護している役割を果たしている[8][10]。寒霞渓付近は、元々はこういう浸食に強い層が上部にあったのかもしれないが、現在は、それらが失われている為、浸食が進んで崖状地形を形成していると推定されている。

これら小豆島の上部を形成している、新第三紀のうち中新世中期の火山岩類が形成された火山活動は、まとめて瀬戸内火山活動と呼ばれている。また、その火山活動によって形成された火山岩類は、まとめて瀬戸内火山岩類と呼ばれている。この瀬戸内火山岩類は、この小豆島のほか、讃岐平野の低山の多くや、近畿地方の一部にもみられる[15]。

この瀬戸内火山岩類を噴出した火山活動の要因としては、約20~15Maにかけて[注釈 5]、元々はアジアの北東部に位置していた日本列島の元となる部分が、日本海の開裂、拡大とともに、分裂しながら移動した。四国を含む「西南日本ブロック」[注釈 6]は南へと移動した。その後、現在の四国にあたる地域は、まだ比較的温度が高かった当時のフィリピン海プレートの上に強制的に乗り上げる恰好となり、その結果、プレート境界部付近でマグマが形成された為に火山活動が起こった、と推定されている[16]。

星ヶ城山を含む、小豆島に分布する、新第三紀の中新世中期の火山岩類の噴出年代については、放射年代法やフィッショントラック法(FT法)により多数の測定がなされている。それらの結果によると、最下層で最も古い、内海累層と呼ばれる火山岩類は 約14.4Ma、寒霞渓付近に分布する神懸山火砕岩類は約13Ma、最上部の星ヶ城溶岩流は約12.8Ma、という測定結果が得られている[14][注釈 5]。

脚注

注釈

  1. ↑ この山の読み方は、多くの文献では「ほしがじょうやま」としているが、「ほしがじょうさん」とも呼ぶようである
  2. ↑ 「寒霞渓」については、関連する部分についてこの項でも多少説明するが、詳細は「寒霞渓」の項を参照のこと)
  3. ↑ 「星ヶ城山」の山頂部を含む、台地状の部分を、以下では説明の為, 「山上台地」と表記する場合がある
  4. ↑ 「険阻山」とは一つの山の名前ではなく、その範囲は明確に定まってはいない
  5. 1 2 “Ma”は、百万年前を意味する単位である
  6. ↑ ここでいう「西南日本ブロック」とは、現在の中部地方にある「糸魚川静岡構造線」より西側の部分を指す。但し沖縄など「南西諸島」は含まない

出典

  1. 1 2 3 4 5 “地理院地図(電子国土WEB)”. 国土地理院. 2026年4月26日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 高松勤労者山の会(著)『分県登山ガイド (36) 香川県の山』山と渓谷社、2017年6月1日、112-115頁。ISBN 978-4-635-02066-4。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 石川 道夫、清家 一明、三谷 統一郎、ほか4名(共著)『四国百名山』山と渓谷社、2000年9月10日、95頁。ISBN 4-635-53028-0。
  4. 1 2 3 4 “香川の瀬戸内海国立公園ガイドブック”. 香川県庁 (環境森林部 みどり保全課). 2026年4月26日閲覧。
  5. ↑ “基準点成果閲覧サービス”. 国土地理院. 2026年4月26日閲覧。
  6. ↑ “寒霞渓ロープウェイ”. 寒霞渓. 小豆島総合開発 (2026年4月21日). 2026年4月27日閲覧。
  7. 1 2 “「小豆島の歴史的背景」の項、ほか”. 小豆島町の概要. 小豆島町. 2026年4月26日閲覧。
  8. 1 2 3 太田 陽子、成瀬 敏郎、田中 眞吾、岡田 篤正(共編)「5-1章「瀬戸内海の島、および灘と瀬戸の海底地形」の項」『日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国』東京大学出版会、2004年6月4日、210-213頁。ISBN 4-13-064716-4。
  9. 1 2 国土地理院 (1982年). “小豆島地区 土地条件図(解説書)”. 国土地理院. 2026年4月26日閲覧。
  10. 1 2 3 日本応用地質学会 中国四国支部(作成) (2024年). “日本応用地質学会 中国四国支部 現地見学会;小豆島コース見学会資料”. 日本応用地質学会 中国四国支部. 2026年4月26日閲覧。
  11. 1 2 3 4 5 “産総研「20万分の1日本シームレス地質図V2」”. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター (2025年7月18日). 2026年4月26日閲覧。
  12. 1 2 3 日本地質学会 編「7-3章「瀬戸内火山岩類」の項」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、249-250,258-264頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
  13. 1 2 3 巽 好幸 (1983). “小豆島の火山地質;:瀬戸内火山岩類の噴出環境”. 地質学雑誌 89 (12): p.693-706. doi:10.5575/geosoc.89.693.
  14. 1 2 3 巽 好幸; 谷 健一郎; 川畑 博 (2009年). “小豆島の瀬戸内火山岩類:水中火山活動とサヌキトイド”. 日本地質学会第116年学術大会(地質巡検用資料). doi:10.5575/geosoc.115.S15.
  15. ↑ 日本地質学会 編「7-3章「瀬戸内火山岩類」の項」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、249-250,258-264頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
  16. ↑ 日本地質学会 編「7-4章 「西南日本外帯および瀬戸内火山活動の成因論」の項、ほか」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、266-267、249-250頁。ISBN 978-4-254-16787-0。

関連項目

外部リンク