豊受山

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豊受山
北側の山麓から望む
標高 1247 m
所在地 愛媛県 四国中央市
位置 北緯33度55分46.02秒 東経133度28分45.1秒 / 北緯33.9294500度 東経133.479194度 / 33.9294500; 133.479194
山系 法皇山脈(石鎚山脈)
豊受山の位置(愛媛県内)
豊受山
豊受山
豊受山の位置(日本内)
豊受山
豊受山
プロジェクト 山
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豊受山(とようけやま)は、四国山地の一部である石鎚山脈[注釈 1] のうち、その東部の山並みである法皇山脈に属する、標高 1274 mの山である [1] [2] [3] [4] [5] 。

行政区画としては、愛媛県 四国中央市(旧;伊予三島市)に属する[1] [2] [3]。

なお、この豊受山は、四国百名山の一つに選定されている [3]。

概要・地理

豊受山の属する法皇山脈とは、石鎚山脈[注釈 1] のうち、ちち山の東側から、あいだに銅山川のつくる深い谷を挟んで2列に分かれ、東西走向に並ぶ山並みのうち、瀬戸内海に面した、北側の山脈を言う。一般的には石鎚山脈の一部と位置付けられる山脈である[2][6] 。

この法皇山脈は、ちち山から東へと、西赤石山、東赤石山、二ッ岳と続き、この辺りまでは、標高 1500 mを越える山々が立ち並んでいるが、二ッ岳より東側は徐々に高度を下げ、赤星山が続き、その東側に、この豊受山がある[1][2]。赤星山からは東に、直線距離にして約2 km に位置している[1]。またこの豊受山より東側は標高1000 m前後の山並みとなり、鋸山、翠波峰と続いている [1] [2]。

この豊受山は、西側に位置する赤星山が富士山型の穏やかな山容をしているのに対し、その山頂部を北側から見ると比較的鋭い山容に見える山である[2] [5]。この山は、後述のように古くから風の神様がすまう山として、北側の瀬戸内側平野部の人々から、信仰の対象として崇められて来た山である。また近年では、登山対象としても比較的良く登られている山である [2] [3] [4] [5] 。

この山の山頂部は、南北に細長い地形となっており、その一角に、信仰の対象となっている豊受神社や、下界へと風を吹き出すという伝承のある、風穴(かざあな)がある[2] [3] [4] [5]。

山頂部は、樹木が多いため展望はあまり良くはないが、山頂部の北端部からは樹々の合間から眼下に、麓の四国中央市の市街地がある平野部や、瀬戸内海などが望める[2]。一方で山頂部の南側には、三度ガ崖(さんどがたけ)という、南側の展望が開けている岩場状の場所があり、眼下に銅山川の渓谷やダム湖、その先に、愛媛県/高知県の県境をなす山脈[注釈 2]が望める [3] [4]。

この山の山頂部の一角には、三等三角点が設置されている。三角点の公式名称は、「鳥子山」であり、標高値は、1247.32 m(作業年月;2024年12月)となっている [7]。

信仰

豊受山の山頂部には、白鳳6年(西暦;666年)に、天武天皇が伊予国に行幸された際に建立されたという伝承をもち、豊受姫命をはじめとした六柱を祭神とする、豊受神社がある。また、その東側には立派な鳥居が建てられている [8]。なお豊受神社の建立に関連するのは、天武天皇ではなく斉明天皇とする文献もある[4] [注釈 3] 。

この神社では、伊勢神宮に習って、20年ごとの式年遷宮が行われている[2] [3] [4][8] 。 この式年遷宮は、大同年間(平安時代中ごろ、西暦 806~810年)に起源を持つ、古くからのもの、とされている[4][8] 。

なお豊受神社の主祭神の名前は、正式には、登由宇氣比賣命(とようけひこのみこと)であるが [8]、とようけひめ(トヨウケビメ)とは、三重県にある伊勢神宮の外宮に祀られていて、古事記にもでてくる、五穀豊穣の女神であり、式年遷宮が行われていることも含め、伊勢信仰の影響を強く受けている、と考えられている[4] [注釈 4]。

ところで、法皇山脈の北麓、瀬戸内海と法皇山脈とに挟まれた平野部のうち、旧)土居町(現;四国中央市)や、旧)伊予三島市(現;四国中央市)付近では、春から初夏にかけて、強い南風が法皇山脈から山を越えて吹く、やまじ風とよばれる強い局地風が、しばしば吹き下ろす場所である。このやまじ風は、日本三大局地風の一つ、とも言われている[2] [3] [9] [10]。

また、やまじ風は、豊受山の山頂部にある、風穴(かざあな)と呼ばれる場所から出てくるという、古くからの伝承がある。豊受山の山頂部にある豊受神社は、そのやまじ風を抑える役目も持つとされ、やまじ風を抑える為の、風鎮祭とよばれる神事が、古くから行われており、現在でも年2度は行われている[2] [3][8] [4] 。

この風鎮祭は、この山の北麓(四国中央市 豊岡地区)、及び 南麓(四国中央市 富郷地区)の人々が、この豊受山を登って豊受神社の近くにある風穴へと詣で、豊受神社にお参りしたのち、7月(旧暦6月)の例祭では麦で作った、9月(新暦)の例祭ではコメで作った、1年分の365個の団子を、供物としてその風穴に投げ入れ、やまじ風が吹き出さないように祈る、という独特の神事であり、四国中央市の無形民俗文化財に指定されている[11] [2] [4] 。

従って、この豊受神社に祀られている神様は、豊受姫信仰による五穀豊穣の神様、やまじ風と関連する風の神様として信仰されており、更には、雨乞いの神様としても信仰されている、という [8] 。

山名

豊受山(とようけやま)という山名の由来は、同じ法皇山脈にある翠波峰の山名が、山頂近くにある水波神社(すいはじんじゃ)を由来とするのと同様に、この山には、豊受姫命(とようけひめのみこと)を祭神とする豊受神社(とようけじんじゃ)が山頂部にあることから、自然と豊受山と呼ばれるようになった、と推察されている[5]。

なお、この山は別称として、豊岡山と表記されることがある[4] [8]。また、愛称として地元の人々はこの山を、オトイコサン、とも呼んでいるという[2] [4] 。

また、この山の周辺には、豊岡町、豊岡川、豊坂など、豊の文字が着く地名が何カ所かあるが[1] [3]、これらの地名と、山名との関係は不明である。

植生

豊受山の中腹より下は、スギなどの人工林と化しているが、法皇山脈の稜線部や頂上付近は、古くから、豊受神社の神域とされていたせいか、ブナ、ヤマザクラ、リョウブなどからなる落葉広葉樹林が残されている。春から初夏にかけては、アケボノツツジやシャクナゲの花が咲く。また豊受山の東側にある鋸山との間の稜線部には、四国では貴重となったカタクリの群生地がある[2] [3]。

登山ルート

豊受山への登山ルートは、古くからの信仰登山のルートを含め、以下のように複数の道がある。

一つは北麓から登る登山道で、(旧)土居町(現;四国中央市 土居町)から、まず赤星山への登山ルートをたどり、途中の分岐から南東方向へ進み、豊受山の山頂付近で法皇山脈の主稜線上にある縦走路に合流するルートがある [2]。

また、法皇山脈の主稜線上、翠波峰から延びる林道を車でアクセスすると、鋸山登山口があるが、そこから登り始め、鋸山を経由して主稜線上をさらに西へと進み、豊受山山頂に至るルートも使われている。豊受山の山頂部からは、さらに西の赤星山までも主稜線沿いに縦走路が続いており、赤星山と豊受山の2つを巡る回遊ルートとすることも可能である[2]。

その他、豊受山の北側中腹まで上がってきている林道の終点から登り、豊受神社の社殿よりやや東側で縦走路に合流するルートがある。これは元々、北麓側から豊受神社へと登る参詣のメインルートだったと思われ、やや古い登山ガイドブックには紹介されているが[3]、最近の登山ガイドブック類には説明がない[2]。また、豊受山の南側にある、七々木集落まで通じている林道の終点から登るルートもあり、これも南麓側からの古くからの参詣道と思われるが[3]、このルートも、最近の登山ガイドブック類には説明がない[2]。

地質・地形

地質

豊受山が属する、石鎚山脈及びその一部である法皇山脈は、日本の地帯(地体)構造区分では、結晶片岩類などの高圧型変成岩の存在を特徴とする、三波川帯に属する[12]。 

豊受山付近では、結晶片岩類のうち、泥質片岩、珪質片岩、苦鉄質片岩(緑色片岩)が、褶曲により複雑に分布している。また南側斜面には、砂質片岩も部分的に分布している[13][14][15]。[注釈 5]

これら三波川帯を構成している結晶片岩類の原岩は、付加体と考えられおり、海洋プレート沈み込み帯で付加体が形成されたのち、沈み込み帯に沿って地下深くに沈み込み、高圧型変成作用を受けたのち、何らかのメカニズムで地表へと上昇したものである[16] [15]。

その変成ピーク年代は、白亜紀後期ころと推定されている[13] [16]。なお、その原岩は、ジュラ紀の付加体とする考えと、白亜紀の付加体とする考えなどがあり、古くから議論が多い[15] [16] 。

地形(断層地形)

法皇山脈の山麓部と平野部との境界には、明瞭な地形的境界であるとともに、地質境界線、活断層系でもある中央構造線が東西に伸びている。この豊受山の北麓にも、中央構造線がある [17]。

この豊受山の北側山麓部にある、活断層系としての中央構造線は、石鎚断層[15]、あるいは石鎚活動セグメント[18] と呼ばれている。この石鎚活動セグメントは、石鎚山の北麓(愛媛県 西条市)付近を西端とし、法皇山脈の北麓の山地部と平野部との地形的境界線に沿って東へと延びており、この豊受山北麓を経て、翠波峰の北麓付近を東端とし、複数の並走する断層群として、ほぼ直線的に約30 km の距離で伸びている活断層(群)である[18]。

北麓の平野部から、この豊受山を含む法皇山脈の山稜への斜面が急傾斜となっているのは、この中央構造線の活断層としての活動の影響が大きい。形成されているこの急斜面は、石鎚断層崖と呼ばれ、地形学の分野ではよく知られている[17][15]。

この山麓部にある、中央構造線活断層系の石鎚活動セグメントが、活断層として活動する場合は、この法皇山脈に沿う地域では、水平方向では右横ずれの活動センスを示すが、鉛直方向では南側上がり(北側下がり)の活動センスを持つ。従ってこの豊受山を含む、法皇山脈側が隆起することになり、法皇山脈を含めた石鎚山脈の隆起の大きな原動力となっている、と考えられている[17][18]。

なお豊受山を含む法皇山脈の南側斜面も、比較的急な斜面となっているが、こちら側は銅山川の浸食(下刻)によるものであり、断層地形ではない。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. 1 2 石鎚山脈の範囲については、文献類によってその範囲が異なるが、この項では石鎚山脈の範囲を、法皇山脈および、銅山川をはさんでその南側に並走する、愛媛県/高知県の県境をなす山脈を含めたものとし、東端を吉野川が山地を横切っている小歩危渓付近とする。また西側は、皿ヶ嶺連峰などと呼ばれる、松山平野の南側に立ち並ぶ山々を含めたものとし、西端は三坂峠とする。
  2. ↑ 法皇山脈の南側に、銅山川の作る谷を挟んで東西に立ち並び、高知県と愛媛県との県境となっている山並みには、定まった名称がなく、登山ガイドブック類でも「高知県と愛媛県との県境の山脈」や「高知・愛媛の県境山脈」、あるいは単に「県境(の)山脈」などさまざまに呼ばれている。この記事では、愛媛県/高知県の県境をなす山脈、と呼ぶこととする
  3. ↑ 天武天皇は、7世紀後半に在位した、第40代の天皇。斉明天皇は、7世紀中ごろに在位した、第37代の天皇(女性)で、天武天皇の母でもある
  4. ↑ 祭神の豊受姫命(とようけひめのみこと)は、豊受姫(とようけひめ/とようけびめ)、豊岡姫(とよおかひめ)、豊受大神(とようけのおおかみ)など、表記や読みは、文献類によってさまざまである。詳細はウイキペディア内の、トヨウケビメの項を参照のこと
  5. ↑ 泥質片岩の原岩は泥岩類、砂質片岩の原岩は砂岩、珪質片岩の原岩はチャート、苦鉄質片岩の原岩は、海洋プレート上部を構成している玄武岩、と推定されている

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 “地理院地図(電子国土WEB)”. 国土地理院. 2026年9月6日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 石川 道夫、西田 六助、豊田 康二、岡山 健仁(共著)「「鋸山・豊受山」の項、「概説 愛媛県の山」の項」『分県登山ガイド (37) 愛媛県の山』(2016年版)山と渓谷社〈分県登山ガイドシリーズ〉、2016年11月5日、64-65,6-9頁。ISBN 978-4-635-02067-1。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 石川 道夫、清家 一明 、三谷 統一郎、谷山 省一郎、ほか3名(共著)「「豊受山」の項」『四国百名山』山と渓谷社、2000年9月10日、40頁。ISBN 4-635-53028-0。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 角川日本地名大事典 編纂委員会 編「「とようけやま(豊受山)」の項」『角川日本地名大事典(38)愛媛県』(2009年版)角川学芸出版社、2009年8月25日、460-461頁。ISBN 978-4-04-622952-6。
  5. 1 2 3 4 5 “「豊受山」”. 山と渓谷オンライン. 山と渓谷社 (2026年5月7日). 2026年9月6日閲覧。
  6. ↑ “法皇山脈”. コトバンク(原出典;「日本歴史地名体系」). ビジネスアーキテクト(Business Architect). 2026年9月6日閲覧。
  7. ↑ “基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院. 2026年9月6日閲覧。
  8. 1 2 3 4 5 6 7 “豊受神社”. 愛媛県神社庁ホームページのうち、「(愛媛の)神社を検索」の項. 愛媛県神社庁 (2017年). 2026年9月6日閲覧。
  9. ↑ Toru Terao. “「やまじ風の研究情報」”. 中四国・瀬戸内の気象のページ.. 香川大学. 2026年9月6日閲覧。
  10. ↑ “気象被害対策;やまじ風予報の防災無線体制”. 四国中央市役所ホームページ. 四国中央市役所 (2020年9月7日). 2026年9月6日閲覧。
  11. ↑ “「豊受神社風穴祭り」”. 四国中央市教育委員会ホームページのうち、「四国中央市の文化材」. 四国中央市教育委員会. 2026年9月6日閲覧。
  12. ↑ 日本地質学会 編「第1-3章「四国の地質概要」、第1-4章「四国の地帯構造区分」」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年2月25日、7-12頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
  13. 1 2 “産総研「20万分の1日本シームレス地質図V2」”. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター (2025年7月18日). 2026年3月25日閲覧。
  14. ↑ 青矢睦月ほか (2013年). “5万分1地質図版;「新居浜」”. 5万分1地質図版シリーズ (管理番号;13[高知]-040).
  15. 1 2 3 4 5 青矢 睦月; 野田 篤; 水野 清秀; 水上 知行; 宮地 良典; 松浦 浩久; 遠藤 俊祐; 利光 誠一 et al. (2013年). 第1章「地形」、第2章「地質概説」、第3章「三波川変成コンプレックス(三波川帯)」、第9章「中央構造線」、. “地域地質研究報告 解説書;「新居浜地域の地質」”. 地域地質研究報告 5万分1地質図版シリーズ (産業技術総合研究所 地質調査総合センター) 高知(13)第40号 (管理番号;NI-53-27-12 , 28-9): pp.1-109,141-147.
  16. 1 2 3 日本地質学会 編「第3部「(四国の)三波川帯」」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年2月25日、51-81頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
  17. 1 2 3 太田 陽子、成瀬 敏郎、田中 眞吾、岡田 篤正(共編) 編「6-5章 「石鎚山地北麓の中央構造線」」『日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国』東京大学出版会〈日本の地形シリーズ〉、2004年6月4日、264-269頁。ISBN 4-13-064716-4。
  18. 1 2 3 “起震断層・活動セグメント検索”. 活断層データベース. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター (2026年8月4日). 2026年9月6日閲覧。

関連項目

関連作品

テレビ

登山者:吉田類(酒場詩人)、高橋久美子(作家・作詞家)