明神ヶ森
| 明神ヶ森 | |
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明神ヶ森(右)を南南東から望む、ヨソ山から | |
| 標高 | 1,217 m |
| 所在地 | 愛媛県松山市・東温市 |
| 位置 | 北緯33度53分39秒 東経132度55分4秒 / 北緯33.89417度 東経132.91778度 |
| 山系 | 高縄山地 |
明神ヶ森(みょうじんがもり)は、愛媛県中部、瀬戸内海に突き出した、高縄山地(高縄半島)の南部に位置する、標高1217mの山である[1][2][3]。
高縄山地では、稜線続きに東へ約4kmの位置にある、東三方ヶ森に次いで高い。また稜線続きの西側約1.5kmの地点には、福見山(1053m)がある[1][2]。
明神ヶ森の山頂には、三等三角点が設置されている。三角点の公式名称は「明神ケ森」、標高値は、1216.9mとなっている[4]。
概要
高縄山地は、愛媛県の中部、直径約30kmのドーム状の形状をしており、標高900~1200m台の山がある山地である。この明神ヶ森は、その南部の比較的標高が高いゾーンに位置する[1]。
山名の由来は明確ではないが、かつては南側の中腹部に、黒滝という集落があり(現在は廃村)、そこには黒滝神社(現存する)があり、この明神ヶ森は、黒滝神社の奥ノ院の位置付けとして、明神さまを祀っていた、という[3]。
この山の大部分は、スギなどの人工林となっており、山頂部もスギ林の中にあって見晴らしは良くないが、逆に南西の松山市郊外からは、奥道後の更に奥に、割と目立つ姿で臨まれる[2][3]。
登山ルート
かつては、いくつかの登山ルートがあったというが、他の登山ルートが荒廃してきた為、現在では、西に隣接する福見山を経由するルートが、メインルートとして使われている。[2]
松山市内から、石手川ぞいの国道317号線をたどり、石手川ダムの先、福見町という集落が登山口である。ここから、福見山の山頂の手前にある、福見寺まではこの寺の参道であり、比較的整備されている。福見寺の裏手からの登山道はふみ跡が薄いが、一登りで福見山の山頂に着く。福見山は目立たないピークであるが、観音菩薩像がある。そこから尾根沿いを東へと1時間程度進むと、杉林の中に明神ヶ森の山頂がある[2]。
「福見寺」について
明神ヶ森の西側約2kmの山中、登山ルートの途中に「福見寺」(ふくみじ)という古い寺院がある。この明神ヶ森登山ルートの途中にある寺院なのでここで解説する。
福見寺については、まとまった信頼性の高い情報が少ないが、以下のような情報がある。
まず境内にある説明板によると、平安時代あるいはそれ以前に創建された古刹で、途中から真言宗の寺となり、かつては多くの参詣者を迎えたという。
現在も麓の、福見町という集落からの参道沿いに、丁石という道標状のものが、所々に残されている[2]。
また福見寺に関する別の情報[5]によると、福見寺は、『俵飛山と号し、真言宗豊山派。本尊は水月観音と聖観音。標高1053メートルの福見山頂から南西にやや下った所に奥院があって水月観音・不動明王・毘沙門天を置く。それより南、重信川流域まで下った字に本坊があり、聖観音・不動明王・毘沙門天を安置する。』 という解説がある。
他に、実際の参詣者の情報によると、建立は698年で、当初は蔵王権現を祀ったもの。本堂のほかに参詣者の宿泊用の通夜堂などがある、との記述がある。 [注釈 1]
地質
高縄山地は全体的に、白亜紀後期の花崗岩類が大部分を占めており、地質構成としてはやや単調であるが、日本の地帯(地体)構造区分的には、領家帯に属し、山地の南部には、領家変成岩類と呼ばれる、高温型変成岩も分布している[7][8][9]。
元々は、白亜紀に地下深部で形成された深成岩体である領家花崗岩類の構造的上位に、より古い時代の、付加体を原岩として、白亜紀に高温型変成作用を受けた領家変成岩類が広範囲に分布していた、と推定されている。その後、時代は不明であるが高縄山地がドーム状に隆起したことで、構造的上位にあった領家変成岩類はかなり浸食によって失われ、この高縄山地南部にのみ残されている、と考えられている[8][9]。
高縄山地の南部にある、この明神ヶ森は、ちょうど、領家花崗岩類の分布域と、領家変成岩類の分布域との境目に位置している[7]。
山体の北側は、花崗岩類の一種、白亜紀後期の花崗岩及び花崗閃緑岩からなる[7][8]。
一方、山頂部および山体の南側は、領家変成岩類が比較的広く分布している。具体的な岩石の種類としては、山頂部を含む分布域の北側では、相対的に高変成度の泥質片麻岩、泥質片岩などが分布し、分布域の南側では、低変成度の粘板岩が分布している。また所々に、変成玄武岩、変成チャートが、東西に細長い帯状の岩体として分布している。これら領家変成岩類の変成ピーク年代は、白亜紀後期から古第三紀の暁新世の間、と推定されている[7][9]。
また、その領家変成岩類分布域より南側の山麓部は、和泉層群に属する、砂岩、礫岩が東西走向に分布しており、南麓では、松山平野に近い山麓部まで分布している。この和泉層群は、中央構造線の、白亜紀後期における横ずれ断層活動に関連して形成された海成の堆積物層であり、堆積時代は白亜紀後期末のカンパニアン期からマーストリヒチアン期、と推定されている[7] [10]。
ギャラリー
- 頂上
脚注
注釈
- ↑ インターネット上の個人のブログ情報なので信頼性に懸念はあるが、『福見寺は文武二年(698)に伊予国司が国家鎮護のために葛城蔵王権現をお祀りしたのが開創と伝えられています。その後、山岳信仰の霊場として多くの修行者や信者が護持してきたものと思われます。本尊は水月観世音菩薩です。』との記述がある <引用元のブログのアドレス> (https://hana-tabi-ki.hatenadiary.jp/entry/2018/01/30/194039)
出典
- 1 2 3 4 “地理院地図(電子国土WEB)”. 国土地理院. 2026年10月10日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 石川 道夫、西田 六郎、豊田 康二、岡山 健仁『分県登山ガイド (37) 愛媛県の山』(2016年版)山と渓谷社〈分県登山ガイドシリーズ〉、2016年11月5日、84-85頁。ISBN 978-4-635-02067-1。
- 1 2 3 4 石川 道夫、清家 一明、ほか、5名『四国百名山』山と渓谷社、2000年9月10日、48頁。ISBN 4-635-53028-0。
- ↑ “基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院 (2026年3月7日). 2026年4月2日閲覧。
- ↑ “(ことバンク)「福見寺;日本歴史地名大系 「福見寺」の解説」の項”. ことバンク. Digitalio. 2026年4月2日閲覧。
- ↑ “えひめの文化財;木造聖観音菩薩立像(福見寺)”. 愛媛県庁 (2026年3月3日). 2026年4月2日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “産総研「20万分の1日本シームレス地質図V2」”. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター (2025年7月18日). 2026年4月2日閲覧。
- 1 2 3 日本地質学会 編「第2部(四国の)「領家帯」;2-2章「領家帯の花崗岩類」の項」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、19-27頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
- 1 2 3 日本地質学会 編「2-1章 (四国の)「領家帯の変成岩類」の項」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、15-18頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
- ↑ 日本地質学会 編「2-5章 (四国の)「和泉層群」」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、44-50頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
