笹ヶ峰峠
| 笹ヶ峰 | |
|---|---|
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笹ヶ峰(峠) | |
| 標高 | 1,027 m |
| 所在地 | 愛媛県四国中央市・高知県大豊町 |
| 位置 | 北緯33度52分58秒 東経133度38分34秒 / 北緯33.88278度 東経133.64278度 |
| 山系 | 四国山地 ;石鎚山脈 |
この笹ヶ峰は、四国山地の一部である石鎚山脈のうち、その東部、愛媛県と高知県との県境をなす山脈上にあり、高知県と愛媛県とを繋ぐ古い街道が通っている、標高1027mの「峠」の名称、及び「山」の名称でもある[1] [2] [3]。
通常、「峠」とは、山稜部のうち標高が低い部分(鞍部)を通ることが一般的であるが、この「笹ヶ峰」(峠)は逆に、山稜部のうち標高が高い場所にあることから、「山」ともみなせる。そこで「笹ヶ峰」という「山」の名称として使う場合がある[1] [2] [3]。
地理院地図でも、笹ヶ峰と表記されている。
なお、同じ「石鎚山脈」には、その中央部に、同名の笹ヶ峰(標高 1859m)という名称の山があるが、その山とは別の山である。
この山(峠)は、江戸時代には、高知(土佐藩)から愛媛(伊予)へ抜ける、北山越(土佐街道)という古い街道の一部であり、土佐藩の参勤交代にも使われた[1] [3]。
概要、歴史
この山(峠)の周囲には東側に、三傍示山、西側に橡尾山など、より高い山があり、かつこの山がピークとしてあまり明確ではないため、笹ヶ峰自体は、山としては際立った存在ではない。
しかし、古くから(旧)土佐街道の、土佐国と伊予国にまたがる重要な峠道であり、交通の要衝でもあった。なお土佐街道とは伊予側(愛媛側)の呼称で、土佐側(高知側)では北山越と呼んでいたという。また(旧)土佐北街道と呼ぶ場合もある。[1] [2] [3]
この峠道は、古くは太政官道であり、江戸時代中期の、享保3年(1718年)以降、土佐藩主が6代目の山内豊隆の時代、江戸への参勤交代のルートを海路から、このルートに変更して以来は、土佐藩の参勤交代の街道として使われた[1] [2] [3]。
この峠道の愛媛県側である、(旧)新宮村からの道はかなりの急坂であり、武士がこの坂道を登る際に、脇に差した刀のさや尻がつかえてしまうため、腹側に刀を廻して通行せざるを得なかった、というほどの急傾斜のため、腹包丁と呼ばれている[2]。
愛媛県 四国中央市(旧;新宮村)にある、道の駅 霧の森の近くには、参勤交代の折りに、土佐藩主、山内公が宿泊した馬立本陣のうち、門と石垣が残っており、往時の面影を残す[2]。 またこの街道は、古くには、土佐日記で知られる 紀貫之が、幕末期には坂本龍馬らもこの峠道を越えたとされる、由緒ある古道である[3]。
1964年(昭和39年)には笹ヶ峰の西側に、高知県道5号線の笹ヶ峰トンネルが開通し、1987年(昭和62年)には高知自動車道の笹ヶ峰トンネルが、この峠道の直下に開通したことで、この峠道もその歴史的役割を終えた。
愛媛県側の登山道の一部からは、三傍示山や塩塚峰などを望む眺望の利く場所もあるが、山頂部は笹ヶ峰の名の通り、スズタケが生え、多少のブナ林が残っており、展望はない。但し 土佐藩主山内公が詠んだ歌碑 [注釈 1] や、「従是北伊豫国 従是南土佐国」(これよりきた いよこく、これよりみなみ とさこく)と書かれた、旧 藩境を示す古い道標などがあり、歴史のある道であることを示している[1] [2] [3]。
なお、山頂から南西側へ約200m離れた地点に四等三角点が設置されている。三角点の公式名称は「笹ヶ峰」、標高値は、1,015.99mである[4]。
登山ルート
愛媛県側からの登山ルートは、四国中央市 (旧)新宮村の堂成地区が登山口である。そこから前述の「腹包丁」という急坂、笠取峠 、頂上近くの杖立地蔵を経由する旧土佐街道の道沿いに登り、山頂に至る[2] [3]。
高知県側からの登山ルートは、一般的には、高知県道5号線の途中から登り始める。一部石畳の残る道を登ると、1時間もかからずに山頂に至る。 このほか、より標高の低い、出合橋登山口から登り、前記の場所を経由するルートもあるが、道は荒れ気味である [1] [3]。
地質
この笹ヶ峰を含めた、石鎚山脈の大部分は、日本の地帯(地体)構造区分では、結晶片岩類などの高圧型変成岩の存在を特徴とする、三波川帯に属する[5]。
笹ヶ峰付近は、登山ルートも含め岩場が無いので地質が解りにくいが、結晶片岩類のうち、主に泥質片岩、砂質片岩が分布している[6]。
ギャラリー
- 高知県側から望む笹ヶ峰(中央)
- 笹ヶ峰の頂上
外部リンク
- 馬立本陣跡 (四国中央市 ホームページより); http://bunka.shikokuchuo.or.jp/bnkz/CH/4-41-024/4-41-024.htm
- 旧)立川番所書院 (大豊町 ホームページより); https://www.town.otoyo.kochi.jp/life/detail.php?hdnKey=441
脚注
注釈
- ↑ 笹ヶ峰頂上部にある歌碑については、文献によって記載内容が異なり、土佐藩9代藩主「山内豊雍」(やまのうちとよちか)の詠んだものとも、15代藩主「山内容堂」(やまのうちようどう)の詠んだもの、とも書かれており、不明確である
出典
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 高知県勤労者山岳連盟『分県登山ガイド (38)高知県の山』(2019年版)山と渓谷社、2019年3月1日、80-81頁。ISBN 978-4-635-02068-8。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 石川 道夫、伊藤 玉男、丹下 和彦、ほか4名(共著)『新・分県登山ガイド (37) 愛媛県の山』(2004年版)山と渓谷社、2004年6月15日、14-15頁。ISBN 4-635-02337-0。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 石川 道夫、清家 一明 ほか5名(共著)『四国百名山』山と渓谷社、2000年9月10日、33頁。ISBN 4-635-53028-0。
- ↑ “基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院. 2026年4月11日閲覧。
- ↑ 日本地質学会 編「(第3部「三波川帯」の項、ほか)」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、1-9,51-71,78-81頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
- ↑ “産総研「20万分の1日本シームレス地質図V2」”. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター (2025年7月18日). 2026年4月11日閲覧。
